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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年1月26日~3月20日

平成に逝った父

義父が脳出血の後遺症で植物状態となって、すでに数年が経っていた。私はその間に次女、三女を出産した。生まれた赤子を義父の隣に寝かせると、「ウォー」と声にならない声を挙げ、目には涙をにじませた。孫の誕生に感動しているようだった。世間では、植物状態の人は何も分からないと思われているが、義父を見ていると、決してそんなことはなかった。知人の見舞いに涙し、好きな曲を流すとうれしそうに聞いていた。孫の姿を目で追うので、手に触れさせると、興奮したのか熱を出したこともあった。しかし、娘の成長とともに、だんだんと反応も乏しくなっていった。それでも、心臓は力強く脈を打ち、呼吸もしっかりしていた。大正生まれの義父は、9人兄弟の長男で、我慢を強いられた人生だった。ブラジルに移住したいという夢も、両親の面倒を見るために適わなかった。いろいろな柵から解放されて、ブラジルで自由に生活したかったのだろう。平成2年の4月、義父の自力呼吸が難しくなった。喉に管を通して呼吸を補助することになった。医師からは、長くないと告げられた。テレビからは、ペルーの新大統領に日系のフジモリ氏が当選したというニュースが流れた。義父もブラジルに移住していれば、南米の地で名を残したかもしれないと思った。退職後、せめてブラジルに旅行したいと、ガイドブックを買いいろいろと計画を立てていた義父。それを実行する前に病に倒れてしまった。二度の危篤を乗り切り、医師の予想を超えたその年の12月、義父は人生の幕を下ろした。私たちは棺に、生前に義父が熟読していたガイドブックを入れた。向こうの世界でブラジル生活を楽しめるように。お疲れ様でしたと、家族で手を合わせた。

三重県四日市市 盛合修子さん 62歳 家族・親族出産・育児別れ悲しみ

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