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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年4月15日~5月31日

25年来の「たら・れば」

試合終了から1時間が経った。しかし私は、テレビの前から動くことができない。ブラウン管の中では司会者が、サッカー日本代表がW杯行きを逃したと、悲痛な表情で繰り返している。どこがいけなかったのか、何が足りなかったのか、それを言ったところでどうしようもない。今それを知ったところで、アメリカW杯には行けないのだ。そう理解したところで、私の隣で同じようにテレビを見ていた兄が無言で立ち上がり、それが合図となって「ドーハの悲劇」を報じたテレビの前から、私もようやく立ち上がることができた。ゲームの流れはこうだ。開始早々に三浦知良のゴールで先制。一旦は追いつかれるも、69分に中山雅史が勝ち越しゴールを決めて、あと20分守ればW杯の切符を手にできる。この中山のゴールはオフサイドぎりぎりで、それが認められたということで私は運も味方していると思った。残りあと10分となったところで、ハンス・オフト監督は中山を下げ、逃げ切りを図る。だがこの時に私は、嫌な予感がした。中山はこの大会の「ラッキーボーイ」であった。控えでスタートしたが、大会中の活躍で最終戦のセンターフォワードを任されるまでになり、勝ち越しゴールも決めた。その選手を代えるのか、流れが変わったりしないか。しかしそれを言葉にすると、本当にそうなってしまいそうな気がする。今風の表現をするなら“フラグを立てる”ような気がしたので黙っていた。だが、結果は誰もが知る通り。試合終了直前に同点ゴールを決められ、W杯初出場の夢は露と消えた。勝負事に「たら・れば」は禁物という。しかし、この試合だけは四半世紀経った今でも“中山を代えなかったら”、“別の選手を代えていれば”と思ってしまう。それぐらい辛く、私史上最も心に残る試合となった。

岐阜県海津市 伊藤修二さん 50歳 流行・世相悲しみ

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