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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年4月15日~5月31日

息子と母の試練

平成6年、わが家は重苦しく明けた。長男の大学受験を控えていたからだ。年が明けるとすぐセンター試験がある。そしてそれに続き二次試験が待っていた。私は45歳、長男は18歳だった。私は3人の息子を抱える母子家庭の母であり、生活のため小さな室内装飾の店を経営していたが、生活は決して楽ではなかった。大学進学を望む長男には経済的な理由から「国公立大学なら」と条件付きで認めていた。長男に続き、次男、三男が年子で控えていたので、長男の受験に失敗は許されないのだ。しかし私は、彼の高校の成績から国公立大学は難しいのではと危惧していた。センター試験の結果は期待に反してというか、やはりというか、芳しくなかった。それでも二次試験に期待したが、3つ受けた大学は全て不合格だった。私は、それまでの生活態度から長男が受験勉強に精いっぱいだったとは思えず、彼の甘さが腹立たしかった。金銭面で予定外の結果となり途方に暮れた。それでも再度挑戦したいという長男のため、実家の母に頭を下げて予備校の費用を出してもらった。70km離れた名古屋の予備校へは家から通えず、長男は名古屋近郊に住む親戚の家に間借りすることになった。平成6年3月、春まだ浅い寒い朝、長男は親戚の家へ自転車で向かった。向こうで自転車を使いたいからというのだ。長男を送り出した後、私は彼の布団や身の回りの物を車に積んで家を出た。途中、懸命に自転車をこぐ彼の後ろ姿を見た時、思わずこみ上げるものがあった。軽く合図をして彼を追い越した私の頬に涙が伝った。先に着いた私は彼が使う部屋へ荷物を運び入れ、到着を待った。親戚とはいえ、初めて自宅を離れて暮らす長男は、来年の保障も無い浪人生の立場で不安だったのだろう。よく私に電話をしてきた。離婚して13年経っていた元夫からは、養育費はおろか何の連絡もなく居場所も分からなかった。子どもたちに最も教育費がかかる時でもあり頭を抱えていたその年の6月、私は元夫に養育費の請求ができないものか弁護士に相談した。弁護士はその権限で元夫の住所を突き止め、内容証明の郵便を送ったところ、長男名義の通帳に300万円の入金があった。父親からメッセージは無かったが長男はうれしそうだった。長男にとっても私にとっても重苦しい年ではあったが、次の年の合格により、その試練が無駄ではなかったと今は思う。

愛知県新城市 西野惠子さん 69歳 喜び家族・親族入学・進学新生活・引越悲しみ

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