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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年6月15日~7月30日

自らつかみ取った第2の人生

平成9年、56歳のときに私は陶芸の道に入った。その1年前、大手都市銀行を定年前退職し、1年の準備期間を経てのことだった。銀行員時代、私は「2つの自分作り」をした。一つは、資格取得だ。この先、何が起きても自分の力で家族を養っていけるようにとの思いからだった。30代に宅建主任、行政書士、社労士など5つの資格を取った。もう一つは、陶芸だ。40代後半に、将来夫婦そろって楽しめる趣味をと、妻と共に陶芸を始めた。5年目には夫婦の個展、6年目には互いが岐阜県展や公募展に入賞するまでになった。すっかり「陶芸の虜」になった私は、プロになる決断をした。そのとき、一抹の迷いがあったが、「好きな道に進むのなら」との妻の一言が私の背中を押した。30代、40代と「自分作り」をしてきたが、趣味を仕事にするとは、思ってもみないこだった。陶芸のプロとなり、開講した教室には、90名が通うほどとなった。「生徒は集まるだろうか」との最初の不安が嘘のようである。そして、私たちの生き方を「異色の転身」「素敵な第2の人生」として、新聞、雑誌、テレビで報じていただいた。当時世間は消費税5%への引き上げ、バブル崩壊の後遺症による景気後退、山一証券の自主廃業や拓銀の再建断念等があり、多くのサラリーマンがリストラで職場を追われ、サラリーマン受難のときであった。そんな中、職場を失った中高年や定年後の夫婦等が、県内外より私たちのもとを訪れた。そんな方々に私は、自分たちが歩んだ道のりの苦難やここに至るまでの努力などを話した。一方で、資格を生かし、各務原市の高齢者総合プラン、景観審議会など、5つの市民委員を拝命した。それは定年前に得たものを定年後に地域のために役立てたいという思いによるものだ。このように私たちは、銀行員時代とは異なる道を歩むこととなったが、公私共に充実した今の日々を思うと、感無量のものがある。この翌年、Kiroroの「未来へ」がヒットすることとなったが、一足先に「足元と前を見て」つかみ取った「第2の人生」のスタートの年であった。

岐阜県各務原市 山田安重さん 77歳 喜び家族・親族流行・世相会社・仕事就職・転職趣味・レジャー新生活・引越

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