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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年6月15日~7月30日

内憂外患来たる

平成10年は、わが家の危機がピークの年。定年まであと5年。給料3割引きの3年目「名ばかり管理職」で倉庫番の身に、冬は特に厳しく、暗くて寒い倉庫の隅でぽつんと一人、痛む膝をさすることが増えた。昔は「窓際族」と呼ばれ、閑職に追いやられるのがリストラだったが、失われた10年の真っ最中の世間では、その余裕もなくなり、人材は使い捨て時代に移ったことで、会社に「追い出し部屋」が定着した。私の働く倉庫は大きな追い出し部屋だった。一人暮らしの母親の認知症が顕著になり、デイケアのプランナーやヘルパーさんから職場に毎日のように電話がかかるようになった。職場に電話が入ると、呼び出し放送が工場全てのスピーカーから流れるので、携帯電話を持たざるを得なくなった。阪神淡路大震災で被災した妹に、がんの転移が見つかったのもこの年。神戸西市民病院で看護師をしていたが、非番の日で、かろうじて助かった。見舞いに行ったときに、「あのとき死んでいたら、子どもに保険金を残してやれたのに」と寂しく笑い、その痛ましさに、母と私と3人して泣いた。子どもが留年して、就職内定を取り消されたのもこの年。給与3割引きの身に、これが一番堪えた。子どもには大学中退しろと言いかけたが、妻が必死の形相で止めた。結局夫婦でアルバイトをした。といっても、空いた時間は限られる。朝3時から7時まで弁当屋で働き、帰ってくると玄関で座り込み、また9時からの仕事に出ていく妻の姿は、鬼気迫るものがあった。私も、引越し業者の手伝い、ガソリンスタンド、イベントのテント担ぎ、塗装ピットの塗料かす剥がしと、土日、正月、5月とお盆の連休に、つてを頼りにして何でもやった。めまぐるしく政党の合従連合が行われた年だったが、何の期待も関心もなかった。ひたすら「あと5年がんばろう、あと5年」と心の中で叫んでいた。

静岡県浜松市 犬塚賢治郎さん 74歳 家族・親族会社・仕事心身の変化悲しみ

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