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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年7月15日~8月30日

苦難の年

私にとって平成11年は苦難の年だった。がんで闘病していた舅がターミナルに近づき、心の準備をしなければならなかった。3月に入ってすぐに医師から、「あと数週間と思われます」と宣言され、「娘の保育園卒園までは頑張ってほしい」と願った。20日の卒園式で娘が「大人になったらお医者さんになります」と大声で宣言したと報告すると、舅は満足そうに「俺の病気も治してもらえるな」と笑った。その1週間後、舅は旅立った。一時は昏睡状態に陥ったのだが、亡くなる前日の午後に目を覚ました。痩せてガリガリだった舅は、浮腫のためにパンパンに膨れ、シーツに水がにじむ。座る姿勢すらとれないのに、「起きる」と言うので起こすと、次は「立つ」と言う。支えて立たせたが、10秒ももしないうちに座り込み、今度は「寝る」と言う。するとまたすぐに「起きる」「立つ」「座る」「寝る」を繰り返す。10時間以上も繰り返した。迫りくる死への精いっぱいの抵抗だったのだろう。翌朝、眠るように静かに旅立った。幼い娘と年老いた姑のことを考え、舅をホスピスで看てもらったのだが、同僚の看護師には「私は自宅で点滴を打って、最期まで看取るけど、あなたはホスピスに追いやった」と言われた。彼女は看護師だから、実際に点滴を持ち帰って家族に打つことができるが、私は看護師ではないので、同じことができるわけがない。それを承知での言葉に、心がつぶれる思いだった。ホスピスの存在自体、まだ多くの人々に正確に理解される前の時代。通夜・葬儀に集まった親族に説明しても、「姥捨山に入れた」ような解釈をされているように感じた。同僚たちからは、舅の最期についてはその後もいろいろ言われ続け、私は心が壊れていった。睡眠障害、気分障害、果ては自分自身を傷つけた。「ノストラダムスの予言通り、世界が滅んでしまえ」、「死にたい」と毎日思っていた。出口の見えない負のスパイラルに入り込み、もがき苦しんだ年だった。

静岡県浜松市(中区) 鈴木由起子さん 51歳 家族・親族会社・仕事心身の変化別れ悲しみ

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