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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年8月15日~9月30日

強く優しかった母との別れ

平成は、私たち家族にとって動乱の日々でした。母が68歳で大腸がん、73歳で肺がんにと立て続けに襲われ、苦しみながらも懸命に手術や治療に耐え、2001年10月21日に75歳で亡くなりました。女学校在籍だった頃の母、と時代は第2次世界大戦の終盤だったと思います。村の電話交換手に駆り出され、敗戦直後には、自害用の薬を渡されたものの運良く何事もなく済んだと聞きます。その後20歳で父の元へ嫁いだ後は、父の後に着いて山を手作業で開墾し、みかん山を作り上げ、それが今も残っています。母は本当の意味で、日本のお母さんでした。家を盛り立てるために苦労に苦労を重ね、一生懸命に励んだだけの人生でした。その母が、何でそんな病魔に襲われなくてはいけなかったのでしょうか。そんな母は、たまに気分や体調の良い時に、「のりちゃん、そーにゃきつか(すごくキツイという意味)。ばってん、家族みんなが『母さん、いてくれるだけで良いから』と言ってくれるので、治療頑張るばい」と、電話を掛けてきたものでした。そんな母に、私は特別なことは言えませんでした。ただただ、うなずいて返事をするのが精いっぱいでした。母の十八番は、私らが子どもの頃にも歌ってくれた英語の「きらきら星」です。あの優しい歌声は決して忘れられるものではなく、私も子どもたちが小さかった頃の、子守歌にしていました。母が大腸がんになった年齢と同じ、今(2018年)69歳の私ですが、事あるごとに、ふっと口ずさんでいるのです。本当に、強くて優しい母でした。感謝以外に言葉が見つかりません。母が¥入院中は、枕もとで3ヵ月お世話させていただきましたが、それもこれも実家を守っていてくれる、兄家族のおかげです。お母さん、お父さん、お兄さん、義姉さん、甥っ子君、本当に本当に、母のことを優しく見守ってくれて、ありがとう。母の最後の表情がすごく穏やかで、本当に観音様のようでした。母の思い出が忘れられない、私の2001年10月21日です。

愛知県小牧市 赤星法子さん 68歳 家族・親族心身の変化別れ悲しみ

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