年表

時代

年表

閉じる

平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年9月15日~10月31日

絶望の7年の末に

平成15年、定年退職した。勤続41年、その終わりの7年間は「後進に道を譲る」という美名の下で倉庫に配置転換され、暗く寒い、あるいは炎熱地獄の中で過ごした。給与の3割カットのリストラであり、スタートした役職定年制度の最初の非適用者になった。痛むひざと腰をなでさすりながら過ごすことになったこの年を、「定前7年」と名づけた。故に「平成15年」は定前1年問という位置づけで、元号や西暦で呼ぶよりこっちの方が思いが深い。絶望の7年の間、どれほど定年の日を待ったか。私たちの年代で、会社とは「社会」の裏返しであり、会社に捨てられることは「社会」から捨てられることを意味した。それは存在価値が無い。生きる価値が無いと会社に宣告されたに等しい。就職したのは昭和38年。自動車用メーカーで親会社は社員4000人の自動車販売会社だった。経営トップは代々親会社から出向していたので、私も41年の間に7代の社長に接した。昭和57年、工業と販売の合併により親会社の名前が消えた。そしてそれまで会社玄関に飾られていた、販売の神様と言われた名誉会長の胸像がいつのまにか物置の隅に移されていた。つまり親会社の合併で子会社の洗い出し再評価が行われ、地位と処遇が急降下したのである。「あんたのとこはまだリストラはやってないのかね」。決算報告に出向いた経理役員に関連事業の担当部長がこう言ったという。定年までの7年間の「定年史」を書こうと思っている。それは長く思い続けた「会社とは何だ」というということの解答になり、平成15年を語り、平成という時代を語り継ぐことになるだろう。そのまま自分史として子に繋げられたら良いと思っている。

静岡県浜松市(西区) 犬塚賢治郎さん 75歳 会社・仕事心身の変化悲しみ

  • facebook
  • twitter
  • line

平成15年の国内・海外の主要ニュースを見る