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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成30年11月15日~12月31日

不育症を乗り越えて

妊娠した─その喜びは、一生に何度あることだろう。息子が幼稚園に年少で入園した頃、私のお腹に2人目となる赤ちゃんが宿った。家族みんなで喜んだ妊娠だった。うれしくて、うれしくて仕方なかった。息子は飛び上がるほど喜んでくれた。妊娠4ヵ月になる直前、お腹が痛くて、深夜に病院に駆け込んだ。トイレに行くたび出血。看護師さんが「トイレに行ったら必ず呼んでね」と言った。どうやら、私の腹痛は陣痛だったのだ。既にお腹で亡くなってしまっていたらしい。当時4歳だった息子は、あまり理解できていなかったが、泣き顔の私に「大丈夫だよ」と言ってくれた。主人はうなずくばかりで、言葉が出ないようだった。午前の診察の時、主人と、手のひらに乗るほどの赤ちゃんと対面した。他人事のような気持ちだった。今考えれば、赤ちゃんがいなくなったことを、うまく受け入れられなかったのだろうと思う。小さいのに、指がきちんとできてるなぁと、やけに冷静な自分がいた。そのまま私はしばらく入院した。病院のテレビで、タレントの間下このみさんが「不育症」についてインタビューされていた。漠然とだったが、心音確認後に流産した私は、もしかして不育症なのかもしれないと思った。病院の先生は、「次はきっと大丈夫だよ」と元気づけてくださったので、その言葉を信じたいと思った。数ヵ月後、また妊娠できた。今度の妊娠は、うれしい気持ちより、不安の方が先だった。数週間後には心音が確認できた。普通の妊婦さんなら、心音が確認できたら、ほぼ大丈夫と言われている。しかし、私は、少量だが出血していたので、絶対安静を言い渡された。ある夜、夢を見た。私に似た女の子が「ママ、バイバイ」。嫌な予感しかしなかった。出血もあったので、すぐ産婦人科に行った。数日前まで動いていたお腹の赤ちゃんの心臓が止まっていた。気がおかしくなりそうなくらい泣いた。これくらいの時期から、私は、だんだんと人と会うのが嫌になっていった。主人は、「2人目はもうあきらめよう」と言った。でも私は意地になっていたのか、どうしても2人目が欲しいと願った。また、数ヵ月後に妊娠したが、その時は心音確認前に流産してしまった。妊娠が分かって流産するということは、まるで天国から地獄に突き落とされるようだった。私は当時、笑うことも忘れてしまっていたと思う。あの頃どうやって、息子の子育てをしていたのか記憶にない。産院の先生の薦めで、私は、不育症の専門の病院へ行くことになった。結果は、やはり不育症だった。最初の流産の時の「嫌な予感」が当たっていた。しかし、数値がそこまで悪くなかったので、妊娠したらアスピリンという薬を飲めば大丈夫と言う診断だった。心が少し軽くなった。アスピリンを飲んでも流産してしまったら、あきらめようと思った。最後のチャンスにしようと決めていた。そして妊娠した。また出血している。絶対安静。トイレ以外はとにかく寝ていた。しかし、アスピリンの効果は絶大だった。出血していても、赤ちゃんはしっかりとお腹にしがみつき成長してくれた。なんとか無事、2008年3月に出産した。赤ちゃんの産声を聞いてようやく安心した。私にも、やっと普通に笑える毎日が戻った。最初に流産してしまった時に年少さんだった息子が、もうすぐ1年生になる春の出来事。2018年。息子は16歳。娘は10歳。産まれてきてくれてありがとう。

愛知県小牧市 桃原由美さん 42歳 楽しみ喜び家族・親族出産・育児別れ

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