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平成作文~未来へ

作文応募期間:平成31年1月15日~平成31年2月28日

私の定年退職

満60歳の誕生日を迎えた平成24年6月12日に、40年余り勤めた会社を定年退職した。私の就職した頃は、男女別賃金表示の募集が一般的であった。こんなに長く勤めることになろうとは思っていなかったが、男女同一賃金の表示に何か可能性を感じて就職を決めた。実際入社してみると甘くはなく、プログラマーの適性検査や研修などで女性は受けることもできないものは多数あった。また23、4歳になると肩たたきにあって辞めていった先輩達も大勢いた。私はその頃、まだ珍しかったコンピューターの部門に所属し、肩たたきになる年齢の頃に男女偏見のない上司に恵まれて、プログラマーの適性検査を受けてみるように言われ、適性があると分かってプログラマーとなり、システム開発もさせてもらえるようになった。自分の開発するシステムの予算取りプレゼンのため、マネージャークラスの会議に行くと、他の部門の上司から「○ちゃん(上司の名前)ずるいよ。女の子を使って説明すれば予算が取れると思って」なとど言われることもある時代だった。それでも、自分の開発したシステムが稼働し、ずっと使われているのを見ることができ楽しかった。その後、親の介護のため転勤はできないので、定年の15年前に健康保険の部署に異動した。ここでも病気がちの親のために、勉強した医療の知識が役立ち、ここで得た保険の知識は退職後の生活に役立った。この部署は私の退職後には、東京本社へ統合に決まり準備を始めようとした退職の前年に、東日本大震災が起き、東京電力の計画停電など引き継ぎ業務にも影響が出た。私の退職3年前には、65歳まで雇用延長される制度ができた。60歳前の仕事を続けられるが、賃金は半分となる同一労働半賃金の条件で勤めなければならない理由も無く、親のこともあり、プライベートを充実させるために、延長はしないことに決めた。友人もたくさんでき、長く勤められて、この勤務先で本当に良かったと思う。

静岡県浜松市(北区) 堤茂子さん 66歳 友人・仲間会社・仕事就職・転職

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