年表

時代

年表

閉じる

平成作文~未来へ

作文応募期間:平成31年3月15日~平成31年4月30日

兄貴との別れ

兄は名古屋で生まれ育ち、38歳で再婚して新城市に居住しました。ある日妹の家に同居する母が入院中、さらに妹の旦那も生死をさまよう大病で入院することに。私は妹の家で泊り留守番をしていた時に、家の固定電話のベルが鳴り慌てて受話器取りました。長年疎遠だった兄嫁からでした。お見舞いの電話かと思いましたが、突然夫(兄)が肺がんで入院したとのことでした。私は呆然として声も出せませんでした。姉が「万が一のことがあるといけないから一応連絡しておきます」と冷ややかな口調。矢継ぎ早に「見舞いは本人が入院している姿を見せたくないと言ってますから、私から連絡をするまで来ないで下さい」と。付き添いをしている妹に連絡するのはやるせない。悩んだ末に兄貴の携帯に電話をしました。声は普段と変わりありませんでが、元気を装っている感じでした。すかさず、がんのステージを聞きました。「フォー」と聞いた途端に私は嗚咽しました。「変な咳をしているから注意したのに何で早く医者に行かなかったんだ」と叱咤しましたが、兄は静岡の病院は信頼できる、だから心配するなと言いました。兄貴には母と妹の旦那が入院していることを知らせませんでした。辛いやらやるせない気持ちで一人滂沱(ぼうだ)しました。疲れて帰宅した妹に伝えました。妹は「そうした年齢になったんやから」と、至って冷静でした。男兄弟とは違う思いを感じました。そして他界する10日前あたりに、兄嫁か「ら見舞いに来て下さい」と連絡がありました。妹と二人で家に行くと、鼻から酸素チューブ姿でしたが元気に振舞って迎えてくれました。兄は「俺は今一番幸せ。家族皆が良くしてくれる。高校の友が一泊旅行に連れていってくれる」と。その3日後、平成27年11月没。母に未だに長男の死去は伝えていません。さらに平成28年には家内の兄が他界。この2年は私の人生最大の苦境でした。

愛知県名古屋市(中村区) 高木和美さん 68歳 家族・親族別れ悲しみ

  • facebook
  • twitter
  • line

平成27年の国内・海外の主要ニュースを見る